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大阪地方裁判所 昭和32年(ヨ)1177号 判決

申請人 日野仁

被申請人 住友化学工業株式会社

主文

本件申請を却下する。

訴訟費用は申請人の負担とする。

事実

第一、申請人の主張

申請人訴訟代理人は「被申請人は申請人を被申請人会社の従業員として取扱い、かつ昭和三二年三月二八日以降一ケ月金一三、三〇〇円の割合による金員を毎月二五日限り仮に支払え。」との判決を求め、その理由として、

一、被申請人会社(以下、会社ともいう)は肩書地に本店を有し、大阪、新居浜、菊本に製造所を設け、肥料、染料、薬品、その他工業薬品、樹脂の製造、販売を業とする株式会社であり、申請人は昭和二八年五月会社大阪製造所に臨時工として入社し、昭和二九年七月一〇日社員に採用され技術見習員となり、翌三〇年九月一日技術員となり、昭和三二年三月現在において月平均一三、三〇〇円の賃金の支給を受けているもので、会社従業員で組織する住友化学労働組合(以下、組合という)の組合員である。

二、しかるところ、会社は昭和三二年三月二八日申請人に対し申請人が入社時に経歴詐称があつたことを理由に、会社就業規則第八九条第三号(「重要な経歴を詐り、その他詐術を用いて雇用されたとき」)を適用し、懲戒解雇の意思表示をなした。

三、しかしながら、右解雇は次の諸理由により無効であり、従つて申請人は依然会社の従業員たる地位を有するものである。

(一)  本件解雇は、申請人の平素の正当な組合活動を理由に申請人を不利益に取扱い、かつ組合の弱体化を図つたものであつて、労働組合法第七条第一号、第三号に違反し、無効である。このことは次の諸事実から疑を容れない。

(1) (申請人の活溌な組合活動)

申請人は社員採用と同時に組合員となつたが、爾来次のように活溌な組合活動をなし、その組合活動を通じ会社が組合員である職制を通じ組合の切崩し、弱体化ないし闘争力の減殺を意図していることに抵抗し、健全な自主性をもつ組合強化のため活動した。すなわち、

(イ) 昭和二九年度年末一時金闘争

申請人は当時一組合員として右闘争に参加したが、組合の要求貫徹のため強固な闘争態勢の確立に深く関心をもち、そのため積極的に活動した。ところで、同年一二月一日の第一波ストにおいて多くの職場で会社側(組合員である職制を含めて)の半強制的手段で必要以上の保全要員が残され、殆んど平常どおりの作業がなされる有様であつたので、申請人は同月四日会社北浜本社において団体交渉に出席する交渉委員を激励する集会で組合役員に右事実を指摘し、闘争態勢の確立を訴えたが、その際特にその傾向の強かつた薬品課を指摘したため、薬品課の職制から組合の統制違反と薬品課組合員の侮辱を理由に組合査問委員会に告発されるに至つた。しかし、申請人は査問委員会の席上、一二月一日のストは数日前に予告されていたにもかかわらず、薬品課や中間物課では職制(組合員である職制を含む)によつて平素以上の量の仕込みがなされ、従つて多くの保全要員を必要としたこと、薬品課AC工場では職場討議による保全要員四名をはるかにこえて七名の保全要員が小林課長、伊藤職場代表委員によつて一方的に指名されたこと、同課のNA、NB、NC各工場でも必要以上の保全要員が職制によつて残されたため、一般組合員の間からこれら職制に対し組合統制違反であるとの批判の声がある等の事実を具体的に明らかにした結果、申請人の前記発言は全く組合強化のための発言として何等の懲戒処分を受けることなく終つた。しかしながら、右の申請人の活動は当時会社が組合員である職制を通じて組合の弱体化を意図していただけに後記((2)(イ))のとおり会社の申請人に対する不当労働行為意思発現の端緒となつた。

(ロ) 組合機関紙通信員としての活動

前記年末闘争の頃、申請人は教宣部長の指名で組合本部機関紙「全住化」の通信員たる任務を負わされ、組合員の意見を機関紙に反映させるのに努力する一方、各職場における活動的分子を通信員となるべく養成して広い通信網を確立し、組合の職場活動、職場闘争を発展させるのに貢献した。その結果「全住化」の大阪支部関係の記事は殆んどこの通信網からの投稿になり、また支部機関紙「焔」の記事も殆んど五割ないし八割が申請人達の投稿になるものであつた。申請人はその名前を表示し、或はまた「あじかわ、まもる」なるペンネームを用い投稿したが、このペンネームが申請人を示すものであることは会社側も熟知しており(昭和三一年七月の組合支部執行委員選挙の際配布した選挙ビラには申請人の氏名と併せて右ペンネームが記載されていたことからしても、右ペンネームが申請人を示すものであることは一般に知られていた)、次に記載の記事を出したこと、また活溌に職場オルグしたことにより次第に会社に注目され著しく警戒されるに至つたものである。

(a) 全住化第二三号(昭和三一年四月一五日付)第二面トップ記事「ある日の職場」において、職制を通じての会社の組合員説得活動の実態を暴露した。この記事は当の光吉係長より抗議を受けたが、記事の真実なことは同係長も認めた。

(b) 全住化第二九号(昭和三一年七月三日付)に「大谷の旦那はんに」と題して、大谷所長に対し労働強化の事実を訴える一文と詩「社章」を投稿したが、これは会社を強く刺戟した。

(ハ) 申請人の指導した職場闘争

(a) 昭和三〇年の越年闘争直後の昭和三一年二月会社は人事課通達により各職場で従来慣行的に認められていた労働時間内(終業直前約一〇分間)の入浴を禁止した結果、組合員の大きな不満を呼び起したが、申請人はこの不満を職場会で取上げさせ、その大衆的圧力により職制をして右就業時間中の入浴を黙認されるのに成功した。しかして、申請人はこの職場闘争の経過及びその成果と欠陥を総括し全住化第三八、第三九号に申請人氏名を表して投稿した。

(b) 昭和三一年八月中旬頃、申請人の職場で使用されていた染料が作業後落ちにくいことから組合員の間に食塩、保護クリーム、作業服支給の要求が起つたが、申請人はこれらの代表となつて職長と交渉し、会社から食塩を支給させることとなつた。

(c) 右のほか組合員であるが、会社の代弁者であるような職制に対しては一般組合員とともにその横暴さをなじる等の日常闘争を重ねた。

(ニ) 組合役員としての活動

(a) 申請人は昭和三一年七月四日、その当時の職場第一染料課第二係PC工場の組合員全員一致の推せんで評議員(評議員会は組合大会に次ぐ意思決定機関ともいうべきもので、職場単位で組合員三〇名に一名の割合で選出される)に当選したが、すぐ第一染料課CN工場に配転となつた結果、評議員の資格を喪失した。

(b) 更に、同月二五日改選の組合支部執行委員選挙に立候補し、七一一票を獲得したが、惜しくも次点で落選した。しかし、これは会社の心胆を寒からしめるに十分で後記((2)(ニ))の妨害行為を招く原因となつた。

(ホ) 職場新聞発行の努力

昭和三二年二月中旬頃、申請人は従来の通信活動、職場活動を更に強化するため職場新聞の発行を企画し、組合執行部にはかつたが、必ずしも同意してくれなかつたので、同年三月二日の臨時組合大会で大衆的に訴える等の努力を重ねたが、右申請人の行動は職制を通じ会社に知られていた。

(2) (会社の申請人に対する不当労働行為)

叙上の申請人の組合活動に対する会社の態度は次のとおりで、不当労働行為の意思があることが明らかである。

(イ) 身元調査の開始

会社は、前記(1)(イ)の年末一時金闘争で申請人が査問委員会にかけられた頃から、申請人を警戒し始め、身元調査を始めたが、これは申請人の組合活動に注目し何かに事よせて不利益扱いをせんとしたものである。

(ロ) 機関紙活動について

前記(1)(ロ)(b)の記事は大谷所長を刺戟し、昭和三一年七月中旬開かれた大阪支部労使協議会の席上で同所長は「こんな思想をもつものが会社にいることは末恐ろしい。労使間の円滑化の障害になる」と述べ、申請人を排除したい意思を有していることを表明した。

(ハ) 職場闘争に対して

前記(1)(ハ)(b)の職場要求(八月下旬頃)に際し、河岡課長代理は申請人に対し「お前が出てから職場が騒がしくなつた。いいたいことがあれば、いいに来いといつてある。お前一人が煽動しているのだろう」と発言した如く、会社は申請人の職場闘争を正当に評価せず毛嫌いしたことを示している。

(ニ) 申請人が組合役員となることに対する会社の妨害

(a) 前記(1)(ニ)(a)の評議員選出の前日頃である七月三日頃会社は申請人の職場である第一染料課第二係PC工場で職長に工員を集めさせ「申請人を評議員に出すことは会社にとつて利益にならないから、出すなと上の人がいつている。赤を出すと何かにつけて都合が悪いから」と宣伝させたほか、申請人を選出させないため、職場の組合員二名に対し「申請人を出さないため評議員に出てくれ」と要求しているのであつて、申請人の評議員選出を妨げようとした。

(b) しかして、七月四日申請人が評議員に選出されると、会社は同月一〇日前記のとおり申請人を第一染料課第一係CN工場に配転した。申請人はこれに抗議し、その理由をただしたところ、課長等はその理由を明らかにしなかつた。これは申請人の組合活動に対する不当な差別待遇であつたため、組合もこれを重視し、その撤回方を会社に交渉したが、会社は業務命令と称して譲らなかつた。右が差別待遇であることは、福永課長の「よその課に出したいが、よそで受取つてくれないから課内でやりくりしなければならんので頭が痛い」「あいつには往生している。どうもこうもならんからこうする(配転)よりしかたがなかつた」との言辞や、光吉係長の「ともかくうるさい奴だ。高小卒ではあるまい。学校を出ているらしい」との言葉からも明白である。

(c) 前記(1)(ニ)(b)の申請人の支部執行委員選挙立候補に際し、会社は全職場の殆んど全部の職制を動員して申請人を徒らに中傷し、その当選を妨害した。会計課や研究所では「申請人が八幡製鉄でレッド・パージされたものだ。赤に投票するな」等と公然と係長から組合員に指示せしめ、その他の職場でも職制の口から申請人を共産党員だと流布させていた。しかも、申請人の友人で申請人を応援していた組合員に対しては職制から「好ましくない人物の応援をやるのは君のためにならん。やめたまえ」等と制止し、積極的な支持者を脱落させていつた。

(ホ) その他、申請人と親交のある臨時工数名が昭和三二年度の本工採用に当り職制からその採用が保証されていた者まで不採用となつたが、これは申請人と親しい者を疎外し、申請人を孤立化するためであつた。

(3) 以上のとおり、会社は既に昭和二九年頃から申請人の組合活動に着目し、会社から排除しようとの意図の下に身元調査に着手し、またその組合活動を妨害し、不利益な取扱いをしてきたが、申請人の組合活動が更に進められ、その方針が次第に組合に取入れられ次年度における申請人の支部執行委員の当選が確実視されるに及び、昭和三一年々末資金、一時金等の闘争が一段落し、組合の闘争力が最も減退した折をねらい、昭和三二年三月下旬に突如就業規則違反に藉口し、申請人を企業から排除するため本件懲戒解雇をしたもので、不当労働行為であること疑を容れない。従つて、右解雇は無効である。

(二)  本件解雇は申請人の信条を理由にするものであつて、憲法第一四条、労働基準法(以下、労基法という)第三条に違反し、無効である。

会社は、前記の通り申請人の組合活動に対し「赤」呼ばわりをし、また申請人のレッド・パージの事実を宣伝していたものであつて、本件解雇は申請人が共産党員ないしその同調者であることを理由になした差別的取扱であり、憲法第一四条、労基法第三条に照し、無効である。

(三)  本件解雇は、就業規則の適用を誤つたもので、無効である。

(1) 申請人が入社に当り、昭和一五年一〇月八幡製鉄株式会社をレッド・パージにより解雇されたことを隠して雇用されたことは事実であるけれども、元来レッド・パージは被占領当時連合国最高司令官の指令に基く超憲法的効力のゆえに、その効力を認められていたにすぎないところ、昭和二七年四月の講和条約発効後においてはその有効性は否定さるべきもので、現在の評価の下ではこれを秘したからといつて就業規則第八九条第三号にいう「重要な経歴を詐つた」ものに該当しない。従つて、本件解雇は右就業規則条項の適用を誤つたもので、無効である。

(2) 仮に、右経歴詐称が重要な経歴を詐称した場合に当るとしても、同条は「社員が左の各号に該当する場合は降任ないし剥奪、懲戒休職または懲戒解雇に処する。ただし、情状によりその他の懲戒にとどめることができる」と規定しており、懲戒処分には懲戒解雇から遣責に至るまでの段階があるのであるから、いずれの処分に付するかは情状を斟酌して合理的に定めらるべきであるところ、会社は申請人に次の如き情状が存するにかかわらず、これを考慮することなく懲戒解雇に処したものである。従つて、右解雇は就業規則の適用を誤つたもので、無効である。すなわち、

(イ) 申請人が右経歴を詐称したのは、生活のためやむを得ず、詐称したものである。申請人は八幡製鉄を解雇後一〇数社の入社試験を受けたが、その能力人格にかかわらず、八幡製鉄解雇の経歴のみでレッド・パージの事実が判明し、採用されなかつたものであり、この事実を告知すればそのことだけで、雇用されないことは明らかであるのでやむを得ず詐称したのである。従つて、右経歴詐称はやむを得ない事情によるものである。

(ロ) 元来、使用者が労働者の雇入に当り労働者にその経歴の告知を要求し、経歴詐称に対しては懲戒解雇をもつて臨む所以のものは、使用者が受入れた労働力を使用してゆくためには労働力の背景としての労働者の人格を必要な限度で問題にし、労使間の信頼関係を形成してゆく必要があるからに他ならない。しかるところ、申請人は臨時工として入社後、前記のとおり社員として採用され、技術見習員を経て技術員となつたのであるが、技術見習員の採用は厳しい学科試験と現場における平常の作業成績を綜合して決定され(当時申請人と同時に入社した一〇名の臨時工の中採用されたのは三名にすぎなかつた)、また技術見習員から技術員となるには新制高校卒業者は普通三ケ月であるのに臨時工からの採用の者については一年の見習期間をおかれ、申請人の場合一年二月の見習期間を経て技術員となつたものであつて、会社は申請人の入社後解雇までの四年間に右のとおり二度にわたり申請人の能力人格を充分に判断する機会をもち、その信頼に基き正常な労使関係が形成されてきたのである。従つて、雇入当時に経歴詐称の背信行為があつても、もはや現在においては当時と同様の評価をなすべきものではない。

以上(イ)(ロ)の事情を綜合すると、本件は本来情状により軽い処分に付すべき場合に当るにかかわらず懲戒解雇に付したものであるから、前記就業規則条項の適用を誤つたもので、無効というべきである。

(四)  本件解雇は、解雇権の乱用であつて、無効である。

上叙記載の如き申請人の情状判断を誤つたことが就業規則違反に当らない場合でも本件解雇は前記の如き経歴を詐称するに至つた理由、入社後の申請人に対する会社の処理、解雇の時期等を綜合すると、酷に失し解雇権の乱用となるものであり、この点から本件解雇は無効である。殊に、従来会社において経歴詐称により解雇された例はなく経歴詐称が明らかな伊藤武雄、小池某(いずれも、組合菊本支部役員)斉宮某(組合新居浜支部役員)等に対して何等の処分がなかつた許りか、一般組合員の場合も同様で、これらの例からみても、本件は均衡を失し、解雇権の乱用というべきである。なお、会社は申請人解雇の後昭和三二年四月に経歴詐称に対する懲戒問題につき経歴調査は社員採用後一年以内に行うことを確認し、従前からの従業員については処分の対象としないことを言明している。

四、以上の次第で、申請人は依然会社の従業員であり、会社に対し月平均一三、三〇〇円毎月二五日支払の賃金請求権を有するから、会社に対し解雇無効確認、賃金請求等の訴を提起する準備中であるが、申請人は会社からの賃金を唯一の生活の資とするもので、本件解雇により生活の危機にさらされており、右本案訴訟の判決確定をまつては解雇の取扱を受けることにより回復し難い損害を蒙るので、これを避けるため被申請人会社に対し申請人を会社の従業員として取扱い、かつ、昭和三二年三月二八日以降毎月二五日限り金一三、三〇〇円宛の金員の仮の支払を命ずる仮処分命令を求める。

と述べた。

第二、被申請人の主張

被申請人訴訟代理人は主文第一項同旨の判決を求め、答弁として

一、申請人主張一、二記載の事実中、申請人の平均賃金額を除き、その余は認める。申請人の解雇当時の平均賃金は一ケ月金一二、九六五円である。

二、右懲戒解雇の理由は、次のとおりである。すなわち、

申請人提出の履歴書の記載によれば、その学歴及び職歴は別紙のとおりであるところ、その記載はすべて虚偽であり、また、申請人は臨時従業員として雇用された際に提出した調査表中亡父及び実兄の職業欄に真実は医業であるのに、殊更工員と記載し、会社が当然抱くべき不審を未然に回避した。殊に、最終職歴は会社が最も関心をもつところであるが、申請人は八幡製鉄株式会社を昭和二五年一〇月レッド・パージにより解雇されたにもかかわらず、これを隠したものであつて、その不信義性は全く極端という他ない。よつて、会社は、労働協約第六三条第三号、就業規則第八九条第三号に該当するものと認め、昭和三二年三月二六日及び同月二七日の両日懲戒委員会を開催し、組合側の同意を得、なお申請人に対しては任意退職を勧告したが応じないので、懲戒解雇を発令したものである。

三、右の次第で、本件懲戒解雇は有効であつて、申請人の主張は次に述べるとおりすべて理由がない。

(一)  本件解雇は申請人の組合活動を理由に、申請人を不利益に取扱い、かつ組合の弱体化を意図してなされたものではない。

(1) (申請人主張の組合活動の事実について)

(イ) 申請人主張三、(一)(1)(イ)記載の事実の中、組合により年末一時金闘争がなされたことは認めるが、その余の点は知らない。

なお、保全要員については当時有効に存在した労働協約(大阪製造所労働協約を含む)に基き会社は組合大阪支部と協議の上保全協定を締結し、右協定に従い保全要員を就業させたものであり、その際半強制的に必要以上の保全要員を残したり、一方的に指名したり、組合員である職制を通じて組合の弱体化を意図した如き事実はない。

(ロ) 申請人主張三、(一)(1)(ロ)記載の事実は知らない。従つて、会社が申請人の通信活動や活溌な職場オルグ活動のために申請人を特に警戒した事実はない。

(ハ) 申請人主張三、(一)(1)(ハ)記載の事実の中、会社が昭和三一年一月一二日人事部長名で労働時間の適正化に関連し時間内勤務の充実を計るため、時間中の入浴を原則的に認めない旨の通知をなした事実(製造部では同年二月一日から実施)は認めるが、その余の事実はすべて知らない。なお、右人事部長の通牒は予め組合大阪支部執行部に全文を説明して通知文を手交し、実施の細部に対する組合意見に対しては会社として円満な実施確保のため若干の修正を行うに吝がでなかつたし、殊に入浴時間の点は職制の意見その他の事情を勘案し、会社としてこれを修正したものであつて、組合活動とは関係がない。

(ニ) 申請人主張三、(一)(1)(ニ)記載の事実の中、会社が申請人に対し申請人主張のとおりの異動を命じたことは認めるが、その余の事実はすべて知らない。なお、会社では評議員の転勤異動は他にいくらも例があることで、評議員でない一般従業員と同様業務上の必要から日常普通に行われており、またその異動に関しこれまでに組合から異議ないし苦情があつた事実はない。

(ホ) 申請人主張三、(一)(1)(ホ)記載の事実は知らない。

(2) (申請人主張の不当労働行為の事実について)

(イ) 申請人主張三、(一)(2)(イ)ないし(ハ)及び(ホ)記載の各事実は否認する。なお、身元調査が行われた経緯を述べるに、元来従業員の身元調査は会社の人事担当職制の当然かつ日常継続的な職務であるところ、会社大阪製造所では昭和二五、六年の不況時に減員を行つて以来社員の採用は定期の学校卒業者その他ごく一部の例外を除き行われず、一時的繁忙時の人員充足も原則として臨時従業員その他社員以外のいわゆる臨時工をもつてまかなつていた。しかるに、その後組合の強い要望から経営事情の許す範囲内で臨時従業員より社員に採用する措置を採ることとなつたが、組合から早期実施を要望された等の事情と会社の調査能力の関係から取敢えず当時その採用に当つての身元調査は大阪近郊等手近なところに調査の重点をおいて措置された。その後、昭和三二年一月の社員充足の際は遠隔地を含めて全般的調査が行われ、この時に既往の分で遠隔地のため未調査であつた分についても全般的調査を行うこととなつたところ、その調査の結果申請人の本件経歴詐称の事実が判明した次第である。なお、申請人の身元調査が完了したのは昭和三二年三月中旬頃である。

(ロ) 申請人主張三、(一)(2)(ニ)記載の事実の中、職場異動を命じた点を除き、その余の事実は否認する。もつとも、申請人が配置転換を一方的に不当として組合に訴えたため、組合から藤井支部執行委員が所属課長に事情をただし、その説明に納得して帰つた事実はある。

(3) 右の次第で、申請人の組合活動の点は会社の全く知らないところであり、不当労働行為の事実は存しない。

(二)  申請人主張三、(二)記載の事実は否認する。本件解雇理由は前記(第二の二)の如き申請人の不信義性に基因するものであつて、信条による差別的取扱をしたものではない。

(三)  申請人主張三、(三)について

会社は昭和二五年一〇月当時に企業破壊的分子の跳梁になやみ、若干の人員整理を断行するのはやむなきに至つた苦い経験に鑑み、他社でレッド・パージにより解雇された者はその者が能力、人格の如何にかかわらず採用しない方針を堅持しておるのであるから、かような前歴を秘匿する経歴詐称が重要な経歴詐称にあたることはいうまでもない。仮に、申請人主張のとおりレッド・パージによる解雇が連合国最高司令官の指令によるもので、無効であるとしても、この点は申請人が依然八幡製鉄株式会社の従業員たる身分を保有する結果となるだけのことであつて、会社が当時企業破壊的分子を企業から排除する必要に迫られていた事実、かかる分子の整理によつて企業経営秩序が無用の混乱から避け得た事実に照し、レッド・パージによる解雇の効力如何は経歴詐称の評価には何等の影響を及ぼすものではない。またかような事実の隠蔽は情状酌量の余地もないというべきである。なお、

(1) 申請人主張三、(三)(2)(イ)の事実があつたとしても経歴を詐称してもよいという理由にはならない。むしろ、本件の如き行為は、不正な方法で公正な労働者に先んじて職を得る結果となり、社会的にも労働者としても是認し得べき行為ではない。

(2) 臨時従業員から社員への採用試験は前叙のとおり組合の要望により行われたもので、予め社員充足数を決めた上、簡単な常識程度の筆記試験と本人の勤務成績その他を勘案し必要数を臨時従業員の比較的継続勤務年数の長い者の中から充足しているもので、その選抜方法は厳しい競争試験といい得る性質のものではない。また、技術員見習から技術員を選衡する場合は勤怠成績を主たる査定基準として一定の勤怠成績を欠格条件としてこれを充たさない限り見習期間の経過により自動的に技術員としている実情である。ところで、申請人は前叙のとおり履歴書の学歴、職歴の全部にわたり虚偽の記載をなした許りでなく、父兄の職業をも故意に隠蔽し、会社を錯誤に陥れたもので、その結果会社は申請人については社員に採用するに当つて全く誤つた人格的価値を基盤として判断していたものである。かような誤つた認定を基盤とした判断は如何程積みあげても正当なものとなり得ない。しかも右判断の過誤は申請人の欺罔によるものであつて会社には過失はない。従つて、申請人の場合社員採用時の審査は新たな人格的信頼関係の形成には役立たないものであつたし、また雇入後三年一〇月の経過をもつてしても本件の如き重大な経歴詐称が正当化され、情状軽微となる筋合のものではない。

(四)  申請人主張三、(四)について、

本件解雇は、前記のとおり申請人の全経歴の詐称が解雇の決定的原因であつて、解雇権の乱用にわたる点は全くない。元来、権利の乱用は、その権利が認められた社会的目的に反し、公の秩序に反して行使された場合においていい得ることであつて、これを解雇権の場合についてみれば、解雇が単に労働者の団結権の侵害のみを目的とする場合、すなわち、組合活動をしたことを唯一または主たる理由とした場合に解雇権の乱用があるといい得べきところ、本件の場合かような事実は存しない。なお、会社に経歴詐称による解雇例がなかつたのは会社が本人の将来を顧慮して任意退職を勧告したところ、いずれもこれに応じたため懲戒解雇処分として発令されなかつたまでであり、また申請人主張の伊藤外二名については何等経歴詐称の事実はなかつた。また、昭和三二年四月会社が経歴詐称による懲戒問題につき申請人主張のような言明をしたとの点は否認する。もつとも、その頃会社が組合の「経歴調査は社員採用後満一ケ年内に行うよう努力し、調査完了後は経歴詐称を理由として懲戒委員会に附議しないようにされたい。」との要望に対し、「経歴調査は採用後出来る限り短期間に完了するよう努力するが、本人の提出書類を根拠として行うものであるから、本人の責に帰するような特別事情がある場合には、調査が停滞することがあること、調査を完了した後は、新らしい事実が発見され、或は予期しなかつたような事情が発生しない限り、経歴詐称を問題とされることはないであろう」と回答したことはある。

と述べた。

第三、疎明関係〈省略〉

理由

一、被申請人会社が肩書地に本店を有し、大阪、新居浜、菊本に製造所を設け、申請人主張の営業を目的とする株式会社であること、申請人が昭和二八年五月会社大阪製造所に臨時工として入社し、昭和二九年七月一〇日社員に採用され、技術見習員となり、翌三〇年九月一日技術員となつたもので、会社従業員で組織する組合の組合員であること、並びに会社が昭和三二年三月二八日申請人に対し同人が入社に当り経歴を詐称したことを理由に、会社就業規則第八九条第三号(「重要な経歴を詐り、その他詐術を用いて雇用されたとき」)を適用し、懲戒解雇の意思表示をなしたことは当事者間に争いがない。しかして、成立に争のない乙第一号証、第二号証の一、第九、第一四号証、証人松野力の証言により成立を認められる乙第八、第一〇号証、証人松本堅の証言により成立を認められる乙第一一号証の二、第一二号証、第一三号証の二、第一五号証の一、二、(ただし、同号証の一中郵便官署の作成部分の成立については当事者間に争がない)、証人松本堅、松野力各証言を綜合すると、申請人は会社に入社するに当り履歴書に別紙のとおりの学歴職歴を記載して提出したものであるところ、右の記載はその全部が虚偽であつて、真実の学歴は佐伯中学校卒で、その最終職歴は八幡製鉄株式会社に約一年七月在職、昭和二五年一〇月同社をレッド・パージにより解雇になつたものであること(右八幡製鉄をレッド・パージにより解雇されたとの点は当事者間に争がない)、また入社に当り提出した身上票には父兄の職業が医業であるにもかかわらず、殊更に工員と虚偽の記載をなしたことがそれぞれ疎明される。

二、そこで、右解雇の意思を無効とする申請人の主張につき順次判断することとする。

(一)  申請人は、右解雇は申請人の組合活動を理由とするもので、就業規則違反に藉口してなされた不当労働行為であると主張する。

(1)  まず、申請人の組合活動について考察するに、成立に争のない甲第一、第二号証、第三号証の一、二、第四号証の一ないし二三、第五号証の一ないし四、証人釼吉芳久、坪井昭三、倉治吉の各証言及び申請人本人訊問の結果により成立を認められる甲第八号証を綜合すると、申請人は社員に採用後組合員になつてから組合運動に積極的関心を示し、(イ)昭和二九年年末一時金闘争の際に、組合交渉委員に対し保全要員のことに関し、申請人主張内容の発言をなしこの発言は組合員間に物議をかもし、組合統制違反を理由に査問委員会にかけられたが、組合強化のための善意の発言として結局不問に付されたこと、(ロ)この頃から組合本部機関紙「全住化」の組合大阪支部の通信員の一人として組合員の意思を右機関紙及び組合大阪支部機関紙「焔」に反映させるため活溌な活動をなし、自らも「あじかわ・まもる」等のペンネームで詩や記事を度々投稿し、また昭和三二年一月一六日付(第三八号)同年二月七日付(第三九号)の「全住化」には氏名を表示して後記入浴問題に関する記事を掲載し、更に通信活動職場活動を強化するため、職場新聞の発行を提唱したりし、(ハ)昭和三一年二月、会社人事部長名で労働時間の適正化に関連し、時間内の入浴を原則的に認めない旨の通牒が発せられた折(右通牒が発せられたことは当事者間に争がない)、申請人は当時の職場である第一染料課第二係PC工場内に右通牒に対する不満が強かつたので、これを率先して職場会に取上げしめ、職制をして終業時間一〇分前から入浴することを黙認させるのに成功した。(ニ)同年七月四日右PC工場の組合員の推挙で評議員(支部評議員会は支部大会に次ぐ組合決議機関である)に選出された。(もつとも、その直後第一染料課CN工場に配置転換となつたため――この点は当時者間に争がない――右評議員としての資格を失つた)、(ホ)同月二五日改選の組合支部執行委員選挙に立候補し、七一一票を得たが、次点で落選したこと、以上の事実を一応認めることができる。

(2)  申請人は、会社が右の申請人の活溌な組合活動に注目し種々の妨害行為をなした旨主張するから、申請人主張の不当労働行為を推認せしめる諸事実の有無につき考察する。

(イ) 身元調査開始の時期について

申請人は会社が申請人の身元調査を開始したのは前認定の申請人が組合査問委員会にかけられた頃からであると主張するが、この点に関する証人坪井昭三の証言は後記認定に供した疎明資料に照して信用できないし、他にこの点を疎明する資料はない。もつとも申請人が評議員に選出された頃、一部に申請人が「赤」であるとの風評が立つたことは、後記認定のとおりであるが、そのことから会社がその頃、これを知つて調査に乗出したものと認めることもまた、後記認定の会社の調査経過から推して、困難である。却つて前掲乙第八、第九号証、第一四号証第一五号証の一、二に証人松本堅、松野力の各証言を綜合すると、会社は組合の要望に基き昭和二九年七月始めて臨時工から社員を採用し、その後二回程採用を行つたのであるが、右いずれの時も組合が早期採用を強く要望していた関係から身元調査を充分になす時間的余裕もなく、不充分な調査のままで採用決定をせざるを得ない実情にあつた。(なお、申請人は右第一回目に採用された者でありまた、臨時工に採用の場合は短期の契約であるところから会社は従来身元調査を行つていなかつた。)ところが、昭和三二年一月に臨時工を社員に採用する際、採用発表を遅らせても遡つて採用するという組合との間の諒解の下に充分な調査を行つたところ、前歴の退職が不正行為に原因することが判明したりして、参考に資する点が多かつたところから、既往の昭和二九年七月以降の調査未了の分もこの際調査を進めることにした結果、同年三月に至つて、前記認定の申請人の経歴詐称の事実が判明したものであることが疎明される。

(ロ) 申請人の機関紙活動並びに職場闘争に対する会社の態度について

前掲甲第二号証によれば、組合機関紙「全住化」第二九号に申請人主張の「大谷の旦那はんに」なる匿名の記事が掲載されていることが認められるけれども、当時右記事が申請人の投稿になるものであることを会社において知悉していたことを疎明する資料もないし、また会社側大谷所長が申請人主張の如き言辞をもらしたというだけでは、必ずしも会社に申請人排除の意思があつたものと速断することはできない。また、申請人が昭和三一年八月頃第一染料課課長代理河岡丑男に対し食塩の支給を要求した際同人が「お前が出てから職場が騒がしくなつた云々」との言辞を弄したとの点については、これに副う申請人本人訊問の結果は当裁判所において真正に成立したものと認める乙第二一号証の二、三に照したやすく信用できない。

(ハ) 評議員選出に対する妨害について

証人坪井昭三の証言及び申請人本人訊問の結果を総合すると、申請人が前記のとおり評議員に立候補した際、職長の山西某が組合員の西川某等に「日野を出さずに、お前が出たらどうか」と立候補を促したことが窺われるけれども、右坪井証人の証言によれば、職長も組合員であることが認められるから、右の事実から直ちに会社が職制を通じ申請人の評議員選出を妨害したものとは認め難い。もつとも、申請人が評議員に選出された直後に配置転換されたこと前認定のとおりであるが、証人松本堅、松野力の各証言に右松野証人の証言により成立を認められる乙第二四号証を綜合すると、評議員に選出された者の氏名は従来から会社人事課には何等通知されないし、またこれまで配置転換について評議員であるからといつて一般従業員と異る取扱がなされた例はなく、申請人の場合は第一染料課CN工場で従業員河内某が健康診断の結果、他に転じ、その補充を必要とする事情が発生したため、配置転換がなされたもので、殊更に申請人の組合活動を妨害する意図でなされたものでないことが疎明される。なお、申請人本人の供述中、第一染料課福永課長が「申請人を他に出したいが、他で引取つてくれないので困る」ともらし、また同課第二係長光吉が「うるさい奴だ。困つたものだ」といつていたとの供述部分は真正に成立したものと認める乙第二一号証の四、五に照したやすく信用できないし、その他前段認定を覆し、右配置転換が申請人の評議員選出を水泡に帰せしめる意図の下になされたことを疎明するに足る資料はない。

(ニ) 支部執行委員立候補に対する妨害について

証人坪井昭三、倉治吉の各証言及び申請人本人訊問の結果を綜合すると、申請人が前記のとおり支部執行委員に立候補した際、職制の中には「申請人が赤らしい」とか「赤だから応援しない方がよい」等と申請人を中傷する言辞を弄した者があることが窺われるが右の各疎明によるも、右中傷をなした者はいずれも組合員であることが推認でき、会社がこれらの者を通じて申請人の選挙運動を妨害した等の点を認むべき疎明もないから、右の事実から直ちに会社が申請人の選挙運動を妨害したものとは認め難い。

(ホ) また、申請人は会社が申請人の友人を社員に採用せず、申請人を孤立化せんと企図したと主張するが、この点に関する証人倉治吉の証言及び申請人本人訊問の結果は信用できず、他にこれを認定するに充分な疎明はない。

(ヘ) 以上の如く、申請人の組合活動、特に職場闘争、機関紙活動が、職制を刺戟し、その反撥を買い、同じ組合員でありながら、その間に摩擦を生じたことは否み難いが、この申請人の活動はまたその所属する組合支部の方針とも格調を一にせず、前記二、(一)(1)(イ)の如く組合の査問委員会にかけられるといつた物議の生じたのもその現われであり、必ずしも組合執行部の積極的な全面的な支持を得ていたわけでなく、いささか別派、独走的な傾向をもつていたことは成立に争のない乙第二五、二六号証並びに弁論の全趣旨から窺われるのであつて、申請人が「赤」であるかとかいつた風評が組合員の間に流れた原因もここにあるものと思われ、かような背景と証人上田章の証言によつて窺われる如く、右組合が総評傘下の強大な組織と闘争力を有する組合であり、申請人の解雇後も依然として活溌な闘争を続けていることを考慮に入れるとき、申請人主張の如く職制が会社の代弁者であり、会社がこれを通じ組合の弱体化、闘争力の減殺を企図し、これに抵抗する申請人の活動を封ずるため策動したものとは考えられない。

(3)  叙上のとおり、会社が申請人の組合活動に特に関心をもち妨害したとの申請人の主張はこれを認めることができない許りか、前記認定の会社が申請人の身元調査をなすに至つた経緯並びに後に説示するとおり申請人の経歴詐称が極めて不信義性の高度のものである点を考慮すれば、右解雇が申請人の組合活動を理由とするものであるものとは到底認め難く、むしろ経歴詐称を決定的原因としたものと認めざるを得ない。従つて、この点に関する申請人の主張は採用するに由ない。

(二)  申請人は、右解雇は申請人の信条を理由とするもので憲法第一四条、労基法第三条に違反し、無効であると主張する。

しかしながら、前認定により明らかなように右解雇は申請人の経歴詐称を理由にしたものであつて、申請人主張のように申請人が共産党員ないしその同調者であることを理由にしたものではないから、この点の主張は理由がない。

(三)  申請人は、右解雇は就業規則の適用を誤つたもので、無効であると主張する。

(1)  まず、申請人はレッド・パージによる解雇は講和条約発効後においてはその有効性は否定さるべきものであるから、この事実を秘匿したからといつて、就業規則第八九条第三号所定の重要な経歴を詐称した場合に該当しないと主張するから考えるに、元来使用者が従業員を採用するに当り履歴書や身上票を提出させるのは、従業員としての採否決定のための全人格的判断を行う資料とする外、採用後における労働条件の決定労務の配置管理の適正化、ひいて企業秩序全般の維持等の判断資料にも供するためであるから、これらの資料に虚偽の記載をなす所為はその者の不信義性を示し、労使間に要請される信頼関係を破壊するとともに前記の価値判断を誤らしめ企業秩序にも影響を及ぼすおそれがあり、それゆえにこそかかる行為は、一般に懲戒処分の対象とされるのであつて、本件においても会社の就業規則は勿論労働協約(成立に争のない乙第一六号証)にもこれを懲戒事由として規定し使用者に懲戒処分発動の途を開いているのである。ところで、申請人の場合その履歴詐称の程度は前認定のとおりその学歴職歴の全部にわたるものであつて前段説示の如き履歴書提出の意義を全く没却するものであり、殊に通常使用者が従業員を採用するに当りその最終職歴を重視する点に鑑みれば、申請人が最終職歴である八幡製鉄株式会社に勤務していた事実を秘匿した行為はレッド・パージによる解雇の有効、無効を問わず会社就業規則第八九条第三号にいう重大な経歴詐称に当ることはいうまでもない。従つて、この点申請人の主張は理由がない。

(2)  次に、申請人はその経歴詐称の所為が、就業規則条項にいう重要な経歴詐称に当る場合でも、同条項には右条項該当の場合「降任ないし剥奪、懲戒休職または懲戒解雇に処する。ただし、情状によりその他の懲戒にとどめることができる」と規定されており、従つていずれの処分に付するかは情状を斟酌して合理的に定めらるべきところ、会社は情状を考慮せず懲戒解雇に価しないにかかわらず解雇処分に付したものであるから、右解雇は就業規則の適用を誤つたもので無効であると主張し、その情状として(イ)八幡製鉄株式会社解雇の経歴を告知すれば雇用されないことが明白であるから、生活のため詐称もやむを得ない事情にあつたこと、及び(ロ)会社入社後解雇までの四年間に会社は申請人の人格的判断をなす機会があり、その信頼に基き正常な労使関係が形成されている点を主張するのであるが右(イ)の点は申請人の経歴詐称が前示のとおり極端なものであつて、殆んど履歴書の提出なきに等しい点よりすれば、これを理由に解雇されてもやむを得ないものと考えられる事情にあること(この点は、通常履歴書の提出がなければ雇用されないという関係から推論しても明らかである。)に照し、情状軽減の事由と認めることはできない。また(ロ)の点については、証人松野力、上田章の各証言により、申請人の平素の勤務成績は中以下に属することが窺われ、また、申請人の入社後解雇までに三年一〇月(臨時工の期間を除くと約二年八月)の日時を経過していることは前認定のとおりであるし、臨時工より社員に採用されるについては、学術試験現場の内申書等による考査を経たものであることは証人松本堅、松野力の各証言により、疎明されるのであるが右は申請人の労働能力技術が会社予定の水準にあることを示すものであるにしても、会社が申請人の経歴詐称に関係なく、新たな人格的判断により正常な労使関係を形成したもの、換言すれば、会社の事後選択により解雇の必要性が失われたものであるとは速断し難く、むしろ経歴詐称の程度が極めて高く、背信性の強い点を考慮するとき、これを打消すに足る深い労使の信頼関係が、右の如き単なる雇用の継続によつて、新たに形成されるとはとうてい考えられず、会社の申請人に対する不信の念、ひいては会社企業秩序への不安は容易に払拭されないものと認めるのが相当であるから、懲戒解雇処分による申請人の企業外排除を以て過酷に失するものということはできない。

従つて、申請人のこれらの点に関する主張も採用に値しない。

(四)  申請人は、右解雇は解雇権の乱用で、無効であると主張する。

しかし、証人松本堅、松野力の各証言を綜合すると、会社ではこれまで本件のように極端な経歴詐称の事例はなく、またこれまで経歴詐称該当の場合はいずれも会社の勧告により任意退職したものであることが疎明されるから(この認定に反する申請人本人訊問の結果は信用しない)、申請人主張のように他の経歴詐称の場合と均衡を失するものとはいい難い許りか、本件申請人の経歴詐称の高度性に徴すれば、申請人主張のその他の事由を考慮に容れても、本件懲戒解雇をもつて解雇権の乱用ということはできない。従つて右主張も採用するに由ない。

三、してみれば、申請人の本件懲戒解雇が無効であるとの主張はすべて理由がなく、右解雇は有効であるから、その無効を前提とする本件仮処分申請はその余の点を判断するまでもなく失当として却下することとし、訴訟費用の負担につき民訴法第九五条、第八九条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 金田宇佐夫 武居二郎 角谷三千夫)

(別紙)

学歴

一、昭和一九年三月  大分県南海部郡下堅田村下堅田尋常高等小学校高等科卒業

職歴

一、昭和一九年四月  大分県佐伯市東九州造船所入社

一、昭和二〇年一〇月 同社退職

一、昭和二二年五月  大分県佐伯市中山製材所入職

一、昭和二四年三月  同製材所退職

一、昭和二四年四月  福岡県戸畑市山本工作所入社

一、昭和二七年六月  山本工作所退職

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